私は、車の街として知られる愛知県豊田市で生まれました。
2DKのマンションで、兄弟3人の末っ子として育ちました。自分の部屋はなく、兄たちの部屋を転々としながら過ごした幼少期は、限られた空間を工夫して楽しむ毎日でした。
学生時代、テレビで「欠陥住宅」が社会問題になっているのを見たことが、家づくりに興味を持つきっかけでした。
なぜ手抜き工事が起きてしまうのか—その疑問が心に残り、「正直で誠実な家づくり」に対する関心が芽生えました。
進路を考える高校時代。小さい頃から「ものづくり」や「分析」が好きだったこと、そして「誰かの役に立つ仕事がしたい」となんとなく思っていたこともあり、気づけば建築の道を志していました。
明確な理由は思い出せませんが、「建築学科に進みたい」という気持ちは自然と自分の中にありました。
大学では、都市計画や公共施設の設計、住宅設計など幅広く建築を学びました。
有名な建築家の作品にはあまり惹かれませんでしたが、「使う人」と一緒につくり上げていく建築には強く興味を持ちました。
住宅であれば住む家族、まちづくりであればその地域に暮らす住民の方々。そうした人たちと対話を重ねながら形にしていくプロセスに魅力を感じました。
住宅専門の研究室はありませんでしたが、住民参加型のまちづくりを研究する研究室に入り、ワークショップなどを通じて実践的な学びを深めました。
大学卒業のタイミングでリーマンショックが起こり、就職活動は難航。そんな中、大学の先生から「卒業生が働く地元の工務店で求人がある」と紹介され、その会社に興味を持ちました。
それまで「工務店」という存在について深く考えたことはありませんでしたが、実際に話を聞くうちに「こんなにも人に寄り添った家づくりができるのか」と感じ、そこで働くことを決めました。
仕事を始めてみると、家づくりの世界は思っていた以上に奥深く、ただ建てるだけではありませんでした。
「どんな家に住んでいたか?」
「どんな暮らしをしたいのか?」
住まい手ひとりひとりに寄り添い、耐震・断熱・快適性・コスト・素材などを多面的に考えることの面白さにどんどん引き込まれていきました。
もっと多くの知識を学びたいという思いが強まり、地元の工務店を離れ、他の工務店を巡りながら経験を積み重ねてきました。
その時々で「自分にとっての“いい家”とは何か?」を考え、日々変わる社会情勢や技術革新にアンテナを張りながら、家づくりのアップデートを続けています。